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喫茶店ファミーユ 電波世界支店

美少女ゲームオタクがあれこれ書きます。

「俺たちに翼はない」とはなんだったのか

そもそも論

 

これは"たとえば"の話だけど。僕らが君に語るのは、たとえばそんなメルヘン。
それはきっと何処にでもある、ありふれた物語。

 

 2009年に発売されたゲーム、「俺たちに翼はない」。

王雀孫先生のアイデンティティである遅筆っぷりに某声優から「発売するなんて何の冗談ですか?」とまで言わせてしまった迷作(?)。

 

そんな歴史に取り残された作品について、今更ながら思うことを書き連ねていこうっていうのが今回の趣旨です。

 

のっけからネタバレ全開&色々知っている前提で書いていきますので、プレイ済の方ネタバレ気にしない方1章のタカシ君で心折れたけど気になるものは気になる方のみ御覧ください。本編未プレイ諸兄は7兆回プレイしてからどうぞ

 

俺たちに翼はない…ことはない」かもしれないぞ。

 

牧師の言い放ったこの言葉こそ、「俺たちに翼はない」のメッセージのひとつだと思います。

 

ほら、空ってどこにでも繋がってるよね。
どこへ逃げたって、敵はその白い翼でどこまでも追っかけてくるんだ。
だから翼のない彼らは、どこにも繋がってない空を求めていた。

 

そんな始まりで始まったゲームですが、昔のヨージくんと今のヨージくんは違います。確かに俺たちに翼なんてないかもしれない。偽物の翼でもいい、勝手に翼だと思い込んでもいい。それを使って飛ばずとも飛べずとも…羽ばたくこと位は出来るんじゃないか?というのが牧師の言いたかったことでしょう。

 

 

本当にそれだけなのか?

ここからが個人的に考えてたことです。

 

先程、「偽物の翼でもいい」という言葉を使いました。作中の言葉で言い換えると「「チャンネルを回して」得たもの」とでも形容しましょうか。

ただ、本当にそれで良いのか?それは言い方を変えれば夢テレビを見ていた頃と全く変わってないのです。グレタガルドと同じ、自分にとって都合の良い世界にすり替えて楽しんでいるだけです。

 

 

 

それでも向き合ったものがある。

いかにチャンネルを回しても、世界に逃げようとしても、「俺たちに翼はない」のキャラクターたちの多くはあるひとつと向き合い、前に進みました。

それはまさに「現実」です。

渡来明日香でいえば「明日夢くんなんていない」という現実。

玉泉日和子でいえば「2作目は全く売れなかった」という現実。

羽田鷹司でいえば、「大好きな母を傷つけた」という現実。

それらと向き合うことで間違いなく大きな一歩、すなわち翼を得たんだと思います。

 

もちろん、これはヨージくん一人の力ではありません。

 

俺や俺が俺を支えていた。

そうして俺は昨日の現実を受け入れることができた。

 

と作中にあるように、幻想を携えて現実に立ち向かっています。もちろんタカシやシュウちゃん、ドラたちも現実を見ています。現実、と呼べるものはいくつもありますが、その中のひとつに「私達、プレイヤー」も含まれるでしょう。なにせエロゲプレイしている私達こそ、よっぽど現実の象徴ですからね。作中ではフレンドリーに私たちに話しかけるシーンが有ったと思います(アフつばだとなお顕著)。彼らも彼らで現実に向き合って成長したからこそ、私達に話しかけていたんだなあと思います。

 

意思だよ、意思。

 

自分でこうだと思う意思。意思が希望を生んで、希望が夢を育てて、夢が世界を変えるんだ。

不幸・不条理、いいじゃないか。障害も困難もみんなその大きさに比例して自らの糧となるんだぜ。大局的に見りゃあ人生には敵なんていないんだよ。どれもみんな必要なんだから。 

 

これは俺たちに翼はないを作ったNavelの後の作品である「月に寄りそう乙女の作法」においてジャン・ピエール・スタンレーがオープニングにおいて主人公に言った言葉です。俺たちに翼はないで言い換えるなら意思や希望、夢⇨幻想不幸や不条理、世界⇨現実にでもなるんでしょうか。ぶっちゃけこの言葉が俺たちに翼はないの言いたかったことのひとつでもあると思います。大雑把に言えば、現実も妄想も、嫌なことも良いことも自分の一部にしてしまえば良いのです

 

 

俺たちに翼はない…ことはない「かもしれない」ぞ。

 

ですが、それでも辛いことはあると思います。やっぱり現実は不条理です。どんな言葉を並べてもそれは人によっては綺麗事でしかないという考えも少なからずあると思います。

だからこその「かもしれない」なんだと僕は思います。何度も申し上げますがチャンネルをまわして世界を変えたんです。だから見え方感じ方、受け取り方なんて人それぞれなんです。DJコンドルも「正解はない、どれもが正解だ、おまえの正解はおまえが決めろ。だがまだ決めるな、まだ残ってる、まだ可能性は全部じゃない。」といってるように、です。現実は自分で決めて良いんです。自分が納得すること、心から首を縦に触れること…もうちょっと「つり乙」の言葉を借りるなら「ああ楽しかった!」と思えることを探してほしいというハg…王雀孫先生からのメッセージなのではないでしょうか。これはいきすぎた考えかもしれませんが、その可能性は翼がある限り…生きている限り潰れない。どんなことがあっても「生きていれば」何かしら可能性は残る。随分まわりくどいですが、これが王雀孫先生なりの「生きろ」っていうメッセージだったのかもしれません。

 

 

ありがとうございました。

 

随分と変な口調でお送りしましたが、「俺たちに翼はない」という作品についてずーっとぼんやり考察してましたがこれで数年落ち着いてきてるのでその整理も兼ねて書いてみました。わざと壮大に書いてみましたが、これはこれで良いかなって思います。もちろんこれが正解だとは思ってません、正解なんてないので。

正解がないって締めたからこそ、どう書いても怒られないのはいいですね(逃げの姿勢)。

 

そんな言い訳はさておき「俺たちに翼はない」はプレイした中でも考えがいのある作品…というかゆっくり浸れる作品且つ、世界観と玉泉日和子が好きなので本当に心から好きな作品だといえます。僕の好きな作品にはもうひとつ「パルフェ」という作品があるのですが、あれは直接的というかインパクトの強いイメージで、対して俺つばはスルメですね。とにかく大好きですおれつば。あと玉泉日和子。

 

というわけで重ね重ねお礼をば。読んでくださりありがとうございました。気に入っていただけるとはなかなか思えませんが、少しでも楽しんでいただけたのなら、より一層僕も書いて楽しかったと思えます。

 

次回があるのか知りませんが、月に1回こんな感じのことをやれたらと思います。それでは俺つばらしくこの言葉でお別れしましょう。

 

 

 

 

 

 

ーお前が厚生労…世界が平和でありますように。